みえる安心の明日を照らす140年の歩み

バックミラー専門メーカーへ

※敬称略

1958

社史自動車用バックミラー生産開始

他社から納入されるバックミラーの不良発生に悩んでいたトヨタ自動車より相談されたことがきっかけで、自動車用バックミラーを試作・生産。試行錯誤の末に独自の「三連式成型炉」やターンテーブル方式の生産設備を生み出し、後のモータリゼーション時代の需要増加に備えることとなる。
自動車用バックミラー生産開始

1958

製品グルーミラー(紫紺色鏡)を開発

社内研究の末、独自の「紫紺色メッキ法」を開発。視認性が高く高級感をまとったグルーミラーは、クラウンやコロナ、パプリカ等に採用された。
グルーミラー(紫紺色鏡)を開発

1961

社史バックミラー完成品メーカーへ

宮本町工場にこれまで継ぎ足し的に拡張してきた生産設備を集約し、一貫生産を行う専門工場の形態を整えた。ほどなくして待望の金属加工技術を加え、バックミラーの完成品メーカーという新たな道を歩み始める。
バックミラー完成品メーカーへ

1963

社史開明堂ビル 完成

七間町に総5階建ての「ガラスの殿堂」を完成。ガラスを多用した近代的な容貌で七軒町通りのランドマークとなった。
開明堂ビル完成

1963

製品アルミフレーム

西洋的な近代住宅が増える中、デザインや機能性で選ばれたアルミフレーム。
アルミフレーム

1967

社史藤枝事業所 開設

バックミラー生産拡大のため、静岡県藤枝市に藤枝事業所開設。
藤枝事業所開設

社史三菱重工業(株)(現三菱自動車工業(株))と取引開始

社史QC活動の発足

TQC(総合的品質管理)の先達であったトヨタ自動車から学び、製造部技術課が中心となってQC活動を展開。現在に続く品質管理の礎となる。
QC活動の発足

1968

社史東京事務所 開設

建材事業の首都圏の拠点として、東京事務所を開設。

1968

製品トヨタ2000GT用フェンダーミラー

トヨタ2000GT用フェンダーミラー

製品樹脂製砲弾型ワイヤーショックレスミラー

カローラに採用。ユニークなデザインが好評を博した。
樹脂製砲弾型ワイヤーショックレスミラー

1969

社史ここが本州中央

昭和44年8月に、宮本町本社屋上に大ネオンサインを設置。
ここが本州中央

1970

社史事業部制導入

事業部制を導入し、硝子事業部(本社)、バックミラー事業部(藤枝)を併設。

1972

製品ワイヤー式リモートコントロールフェンダーミラー

トヨタ セリカやカリーナに採用。
ワイヤー式リモートコントロールフェンダーミラー

1976

社史本田技研工業(株)と取引開始

1977

社史流通センター事業所(静岡市)開設

建材事業の拠点として、流通センター事業所(静岡市)を開設。

1979

社史日産自動車(株)と取引開始

1979

製品スパッタクロム表面鏡(世界初)

1982

社史鈴木自動車工業(株)(現スズキ(株))と取引開始

1982

製品量産型Wヒンジ式ドアミラー(日本初)

1982

1986

製品電動格納式ドアミラー用スイッチコントローラー(日本初)

1988

製品エレクトロクロミックミラー

エレクトロクロミックミラー

社章の変遷

社章1
社章2
社章3
この年、現在でもコーポレートマークとして使われている、4つの輪をかたどった商標が誕生した。

続々生まれる、新技術と新製品

主な技術開発一覧

昭和34年 硫化鉛メッキ技術
昭和39年 真空蒸着技術
昭和40~43年 鏡の腐食構造を解明し、塗料の改良により耐久性向上
昭和40年~ ガラス研削研磨技術
昭和41~43年 超音波ガラス洗滌の技術
昭和42年 砲弾型ボディーの樹脂化
昭和44年 樹脂成形技術
昭和45年 静電塗装技術
昭和54年 スパッタリング蒸着技術

新製品開発一覧

昭和34年 紫紺色鏡
昭和40年 樹脂製インナーミラーボディー
昭和41年 樹脂製ガスケット/プリズムミラー
昭和42年 引張バネ式ショックレスミラー
昭和44~45年 樹脂製メインホルダー
昭和47年 ワイヤ式リモートコントロールミラー
昭和48年 電動式リモートコントロールミラー/八方向ボール型スイッチ
昭和53年 アウディ型ダイレクトリモコンミラー